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3.10さようなら原発 三重パレード 集会宣言

ハハノワが共催した、「3.10さようなら原発 三重パレード」の集会宣言を紹介します!
当日は多くの参加者の前で、読ませていただきました。
小雨の降る寒い日になりましたが、参加者の大きな拍手で胸が熱くなりました。

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集会宣言

本日お集まりの皆さん、集会宣言の前に若い世代の代表として、私たちがどのような思いと経緯で、皆様と共にここに集うのかを少しお話しいたします。

この場には、数十年前から原発に反対し、当時子供だった私たちの未来を守ってくれようとした方々がいらっしゃいます。私たちはみなさんの存在を知りませんでした。
親以外の誰かが自分たちと日本という国を案じ、奔走していたことなど知るよしもありませんでした。
当時、信じる道を突き進むことがどんなに困難だったかと思いを馳せずにはいられません。
2013年の現在もその方々が、こうして私たちの世代と手を取り合ってくださろうとしていることに改めて感謝を申し上げます。

私たちは長い間、社会の一員であることにも無頓着に暮らしてきました。
政治はさほど自分たちに影響を及ぼさず、これからもそうだろうと高をくくり、政治そのものに無関心なまま過ごしてきました。
三重県の南伊勢町で芦浜原発の建設計画が白紙撤回されるまでの37年間、地域破壊に苦しみ抜きながら、血の涙を流してたたかった方々のことも、2011年の福島原発の事故が起こった後に知りました。

その福島の原発事故が起こり、手に負えない事態にあると分かった時点で「当然原発はなくなるはずだ」と思いました。
私たちは政治とその歴史に無知だったため、道理というものを過信したのです。
しかしその後、道理とはかけ離れた政府の対応が続きます。
「食べて応援」「避難区域解除」「原発再稼働」、そして「震災瓦礫の焼却」。
それに手を挙げた私たちの三重県。  
 
安全な地域が人為的に汚染させられる、空気と水と土が汚染される、と愕然としました。
その頃、ここ三重にも高線量の地域からの移住が増えてきており、その方たちから「これ以上被曝したくないと思って逃げてきたのに」と悲痛な声がいくつも上がり始めました。
私たちはこの声によって県も考えを改めるだろうと、またも無邪気に思いました。
県は子供の命を第一に考えるはずだと、信じていたのです。
そこから震災瓦礫の焼却を阻止するたたかいが一年半以上も続くとは思ってもいませんでした。

私たちは初めの頃、それぞれがひとりきりで「福島第一原発からの放射性物質の拡散とそれによる汚染」という事態に向き合いました。
買い物の途中、食材を手にしては産地を確かめ、メーカーに問い合わせの電話をする日々。
放射能から家族を守るという重責に押しつぶされそうになっていました。
更に瓦礫の焼却の可能性が浮上し、抱えきれなくなって色々な人に相談しました。
しかし、帰ってきた言葉は私たちをますます孤独にするだけでした。
「神経質だね、子供のストレスになるよ」
「自分らさえよかったらいいの?福島にも人は住んでいるんだよ」。 

自分の子供を守りたいという、人間としても動物としても当然の思いは、「自分たちの子供さえよければいいのか」という言葉でねじまげられました。 
じきにテレビが繰り返し、これらのフレーズを流していることに気がつきました。
原発とその背後にある大きな力の前で私たちは余りにも無力でした。
 
「仲間をみつけなければだめだ」と思いました。
藁にもすがる思いで勉強会やイベントに出かけ、そのたびに一人、また一人と、ゆっくりと輪が広がりはじめました。
昔から活動していた方たちの教えを受けながら、震災瓦礫の受け入れを阻止するための行政交渉などの馴れない行為を必死でこなすうち、いつしか三重県全体の仲間と連帯が取れるほどの繋がりができました。
そして今年1月25日、瓦礫の受け入れを断念することを三重県が正式に発表し、ようやく一息ついて今皆さんとここに集うことができました。
長々お話しましたが、これが原発のことを何も知らなかった私たちがここにいる理由です。

さて、放射性廃棄物の処理方法もないままに作られた54基の原発は今日もこの国でいつでも稼働できるよう準備されています。
原子力は安全だと言った東京電力からは誰も逮捕すらされていません。
子供たちの甲状腺の被害は増え続けていますが、医師たちは口をつぐんだままです。
低線量の被曝の長期的な影響と危険性についても同様です。
政府は命を軽んじ、食品の流通を止めることのできる立場にありながら、何もしていません。
何もしないどころか、危険な除染を市民に請け負わせ、あるかなきかの希望を持とうとする人々の健康を脅かす作業を推奨しています。
あれだけ多くの寄付が集まったにも関わらず、移住や疎開をされた方たちはみな全てを捨て、自費で動かざるをえませんでした。
非常に強い怒りを感じます。基本的人権すら奪われているのです。
報道されていなくとも、現実に福島第一原発からは今日も大量の放射能が吐き出されています。毎日、被曝をさせられています。

先日辞職した福島県双葉町の井戸川町長は「原発事故に負けるということは今のままなにもしないということである」とメッセージを出しています。
「被曝させられたこと」「放射能の片づけをさせられること」「20ミリシーベルトで町へ帰ること」を忘れてはいけないと述べています。
そして「勝つためには何をしないといけないか」という項目のひとつに、次の言葉があります。
 
「多くの町民が健全な遺伝子を保つこと」…がく然としました。
豊かな自然と共に生きてきた小さな町の町長が、世界に向けて遺伝子を守れ、と叫ばねばならない事態の前で私たちに一体何ができるでしょうか。

国を変えるためには、県が。県を変えるためには市が。市を変えるためには町が。町を賢明にするには 民が。
そうです。それぞれが国と行政にとってやっかいな、あたたかい心と厳しい目を持った、先の世代を思う大人であり続ける覚悟を持って、存在していきましょう。
この三重県はその先駆けとなりうる、と感じています。

★原発の即時廃炉を求めます。 
★全ての地域において汚染の可能性のある瓦礫の焼却と拡散に反対します。 
★福島及び、被曝の可能性の高い地域に住む方への避難の権利と永続的な補償をすることを強く求めます。 
★食品その他について、流通の規制と情報の開示することを求めます。 
★放射能の危険性を国民に知らせることを求めます。
★そして福島第一原発の事故の全ての責任の所在を明確にすることを求めます。


多くの人が歩けば歩くほど、道は開かれていきます。
望む人が多ければ多いほど、光もまたその輝きを増すでしょう。
子供たちの手をしっかり握って、宇宙と自然に畏敬の念を持ち、大地を耕すように未来を作っていく。
今日がその第一歩となりますよう願いを込め、この道をまっすぐ、迷わぬように、共に行きましょう。

2013年3月10日 3.10さようなら原発 三重パレード参加者一同



by hahanowa | 2013-03-11 19:28 | レポート

1歳の子供を持つ4人の母親から生まれた、小さな子育てグループ ハハノワです。
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