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3月11日に思う事 3.10脱原発パレード

今日は3月11日です。
大切な人を失くされた方々、大切な人を残して旅立った方々に私たちは何ができるでしょうか。

昨日3月10日は全国各地で脱原発パレードが開催されました。

子育てグループハハノワは、午前中に地元伊勢でのパレード、午後には三重県の県庁所在地である津でのパレードに参加しました。

伊勢のパレード後のハハノワのスピーチを紹介します。

私たちのたくさんの箇条書きの思いを素晴らしい文章にまとめてくれたウラノワまっきー。
ありがとー!!

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幼いころ、私たちは日が暮れるまで外で遊びました。
空を見上げ、花の蜜をこっそりなめ、ぬるい水たまりに足をつけ、土を掘りかえし、草の青い匂いを吸い込んで、宇宙を、世界を、小さな体で確かめながら日々を過ごしました。
きっと、自分たちの子供もそうやってこの素晴らしい世界を知っていくのだと信じて疑うことはありませんでした。
うんと食べなさい。好き嫌いはいけないよ。外で遊びなさい、子供は風の子なんだよ。

しかし、今この日本で「外に出てはいけないよ」「水たまりには近づかないで」「それは食べないで」と言わなければならない事態が起きています。
福島第一原発の事故により、私たちは、慣れ親しんだ世界から一歩大きく外れた、未知の世界に呑みこまれていこうとしています。
国や政府に無関心であった私たちは、事故当初、「国は何としてでも福島の人々を守るだろう」「このような事態におちいったのだから原発が続けられるわけがない」と無邪気にもそう思っていました。
しかし、国は早々に事故の収束宣言をかかげ、避難区域を縮小し、汚染の可能性のある食品を流通し続けています。
それに加え震災瓦礫の広域処理に莫大な広告費を使い、汚染をまぬがれた地域をしらみつぶしにするかのように焼却をはじめてしまいました。

三重県が瓦礫の広域処理の受け入れに手を挙げたとき、私たちは震えあがりました。
毎日の食事の買い物に出かけた先で、食材を手に持って産地を確かめ、加工された工場の場所を確認し、それでも不安がぬぐえずに何件も食品会社に電話をしました。
それほど内部被ばくに気をつけているのに、がれきが焼却されれば、呼吸からの外部被ばくはまぬがれません。買い物に費やす時間が増えるとともに、不安と孤独感にさいなまれるようになりました。
抱えきれずにもらした「放射能がこわい。子供たちが心配だ」という私たちの言葉を聞くと、周囲の人たちの多くは言いました。
「風評被害をあおらないほうがいい」
「福島で生活している人に悪いと思わないのか」
「自分の子供さえ助かればいいのか」
同じようなセリフが繰り返しテレビから流れていることに気付いたとき、私たちは原発とその背後にある大きな力の存在を知りました。
自分の子供の命と健康を守るという生き物としての本能が否定される異常な事態、「正しく怖がれ」という奇妙なセリフがあちこちで聞かれるようになり、何も信じられなくなっていきました。

しかしまたこの頃、必死の思いで、勉強会や上映会や講演会に出席するうち、この問題を正面から考え、動こうとする仲間たちがいることも分かってきました。
移住や疎開をされた人たちとも繋がりがうまれ、お互いに声を掛け合い、情報を交換する仲間が増え始めました。
その中には数十年もの間、原発に反対し、チェルノブイリの事故の際には幼い私たちを守るために奔走し、芦浜原発の建設の中止にかかわった方々がいました。
その方たちは、2年前の福島原発事故が起こった時一体どのような思いを持たれたのか、どんなに悔しい思いをされただろうかと考えずにはいられません。
自分の住む県で起きた芦浜原発建設中止までの30年間に及ぶ壮絶な戦いで、地元は分断され、苦しみ抜いた人々がいたことすら私たちは知りませんでした。
しかし、政治に無知で無関心だった私たちを責めることもなく、先輩方は馴れない行政交渉や講演会を主催する私たちをずっと励まし、サポートしてくださっています。
本日、その皆さんと共にここに集えたことを大変光栄に思っています。
瓦礫の受け入れは中止となりましたが、それは氷山の一角にすぎません。

放射性廃棄物の処理方法もないままに作られた54基の原発。
福島第一原発からは今日も大量の放射能が吐き出されています。
国は原発の再稼働にむけて動き始めています。
いまだ東京電力からは誰も逮捕すらされておらず、子供たちの甲状腺の被害は増え続けていますが、事故とのかかわりを否定し、口をつぐむ医師たち。
低線量の被曝の長期的な影響と危険性についての報道はこれからも望めないでしょう。
政府や行政は、高線量の地域の住民に希望を与えつつもその健康を脅かす除染作業を推奨しています。移住した方は自費で動かざるをえませんでした。
あれほどの寄付が世界中から集まったというのに、一体どうなっているのかと怒りと悲しみがこみ上げます。
先日辞職した福島県双葉長の井戸川町長からの福島県民へのメッセージの中にこういう一節がありました。原発事故に負けないということ、という項目の中です。それは「なんとしても健康な遺伝子を守れ」というものでした。
一見、事故前と変わらない春めいた美しい毎日です。
しかし、美しい山あいの小さな町の町長が、このようなことを言わねばならない現実があることを知らねばなりません。

伊勢は今年式年遷宮を迎えます。
私たちは無意識にではありますが、20年という時の流れを常に感じることのできる非常に珍しい感覚を持った町に住んでいます。
そしてまた、他の地域の方をお迎えする能力にたけた町でもあります。
移住や疎開にこの地をもっと有効活用してもらえるシステムを作り、その方たちから学び、意識の高い大人たちが住む、ふところの深い町にしていきましょう。
20年後の未来に思いをはせ、準備をしていくことが身に付いたこの町を更によくすることには、非常に大きな意味があると考えます。

国を変えるためには、県が。県を変えるためには市が。市を変えるためには町が。町を賢明にするには民が。
そうです。それぞれが国と行政にとってやっかいな、あたたかい心と厳しい目を持った、先の世代を思う大人であり続ける覚悟を持って、存在していきましょう。
そして、完全な大人であるとともに、「王様は裸だ」と見抜くことのできる子供のような鋭さを胸に持って日々を生きていこうと思います。
皆さまもよろしければ、ご一緒に。

2013年3月10日
子育てグループハハノワ



by hahanowa | 2013-03-11 14:18 | レポート

1歳の子供を持つ4人の母親から生まれた、小さな子育てグループ ハハノワです。
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